
エドガルド・カンボンは、サンフランシスコ・ベイエリアでバンドを結成する前に、すでに出演の仕事を確保していた。1986年、それまでの5年間を過ごしたアムステルダムで築いたレパートリーを携えてこの地にやって来た彼は、まず数カ月先の公演を6本ほど決め、それから共演するミュージシャンを探し始めた。クラブのオーナーに見せたのは、アムステルダムで作ったデモ音源や宣伝資料、ヨーロッパの新聞に載った批評だ。「ある意味、バンドを持つ前からベイエリアでバンドリーダーをやっていたんです」と彼は振り返る。
40年後、その自信はサルサとともに歩む人生へとつながっている。モンテビデオ出身の歌手、コンガ奏者、作曲家、そして指導者である彼が率いるのは、エドガルド&キャンデラ。その歴史は、ベイエリアのクラブやフェスティバル、ダンスフロアと深く結びついている。録音作品には、2025年にラテンバウム・レコード(Latinbaum Records)からリリースした『For Export』がある。
8月6日にイェルバ・ブエナ・ガーデンズ(Yerba Buena Gardens)で開いた記念公演では、過去と現在の共演者を集めた16人編成のバンドでステージに立った。11月29日には、バークレーのザ・フレイト(The Freight)で、もう一つの記念公演が控えている。その題名は、第二の故郷との関係をよく表している。「Gracias Bay Area」、ベイエリアへの「ありがとう」だ。
今回のSalsa Vidaのインタビューでカンボンは、独自の音楽を作ること、バンドを立ち上げるための実務、バッド・バニー(Bad Bunny)、そしてベイブリッジを渡るたびに感じる幸せについて語ってくれた。コンガの後ろに「隠れる」ことができないとき、どんなふうに踊るのかも明かしている。
本インタビューは、文法、読みやすさ、長さを調整するため、内容を変えない範囲で編集しています。
心に残り続けるステージ
Salsa Vida40年間、数え切れないほどの公演を重ねてきた中で、規模や名声とは関係なく、今でも思い出すと笑顔になったり、バンドの仲間と語り合ったりするキャンデラの公演はありますか?
エドガルド・カンボン:1996年、バンドとして初めてキューバのハバナで開催されるベニー・モレー・フェスティバルに出演したときは、すばらしい思い出がたくさんできました。私はそれまでにも何度も行っていましたが、メンバーのほとんどはキューバが初めてだったんです。それから、カリフォルニアのモントレー・ジャズ・フェスティバルに初出演したことも、バンドにとって転機になりました。
Salsa Vidaベイエリアには、サルサバンドやミュージシャンのとても豊かなコミュニティがあります。その一員として40年を過ごしてきて、ベイエリアのサルサには独自のサウンドや個性が育ってきたと思いますか? ほかの地域との違いは何でしょうか?
エドガルド・カンボン:おっしゃるとおり、ベイエリアのサルサシーンは、数の面では確かに層が厚いですね。でも残念ながら、ベイエリアならではのサウンドが育ったとは言えません。私のバンドを含むいくつかの例外を除いて、大半のバンドがカバー曲を中心に演奏しているからです。演奏の質がよければ、お客さんからすぐに好反応を得られますからね。
オリジナルの曲がなければ、「独自の個性」は生まれないと思います。自分だけの音楽の道を切り開くのは、いつだっていちばん大変なことです。
「自分だけの音楽の道を切り開くのは、いつだっていちばん大変なことです。」
Salsa Vida長年にわたり、多くの実力あるミュージシャンがキャンデラに参加してきました。いずれ別の活動に移るとしても、あなたのバンドで演奏した経験から、何を持ち帰ってほしいと思いますか?
エドガルド・カンボン:この8月、イェルバ・ブエナ・ガーデンズで行った40周年記念公演では、歴代と現役のメンバーによる16人編成のバンドを披露しました。そのとき改めて実感したのは、私と同じくらい、みんなもこの経験から学んできたということです! 私たちは全員、音楽家として大きく成長しました。彼らとステージを共にできたことを幸運に思っています。
バンドを持つ前からバンドリーダー

Salsa Vida1986年にベイエリアへ来た当時、音楽シーンはどのような様子でしたか? 刺激を受けた、温かく迎えてくれた、あるいは挑戦するきっかけをくれた地元のミュージシャンやバンドはいましたか?
エドガルド・カンボン:結びつきが強く、少し「内輪的」なラテン音楽の世界で、プロとして活動を始めようとする新参者は、最初は苦労するものです。私が来た頃は、バンドの数も、演奏できるクラブや会場の数も、今より少なかったですね。
ベイエリアのミュージシャンの演奏力の高さに、とても感銘を受けたのを覚えています。バタチャンガ(Batachanga)、サボール(Sabor)、サルサ・カリエンテ(Salsa Caliente)、コンフント・セスペデス(Conjunto Céspedes)などは、聴いて感心し、学ぶことのできるすばらしいバンドでした。
でも私には、ある構想と、それを実現する計画がありました。パーカッション奏者全員が歌も担当する、息の合った小編成の7人組バンドを作ろうと思ったんです。こちらへ移る前、アムステルダムに5年間住んでいる間に築いたレパートリーもありました。
バンドリーダーたちに自己紹介はしていましたが、私の計画は、この音楽シーンに仕事を持ち込む側になることでした。そこで、当時のローランズ(Roland’s)、エル・リオ(El Rio)、ザ・ランプ(The Ramp)、今はロッカプルコとなっているシーザー・パレス(Cesar Palace)といった店を回って、少なくとも4カ月先の日程で、6本ほどの出演を決めたんです。そうすれば、ミュージシャンに声をかけるとき、仕事のない手ぶらの状態で行かずに済みますから。
クラブのオーナーや主催者には、アムステルダムで使っていた資料や宣伝物、デモ音源、ヨーロッパの新聞に載った批評を見せました。それで、約束した日までにいいバンドを組めるだろうと信頼してもらえたんです。街に新しいバンドができるという話は、あっという間に広まりました。
それくらい、バンドを作れるという自信があったんです。いつか仕事が来ることを願ってバンドを組むのではなく、仕事を確保してから、ミュージシャンに事前のリハーサルをお願いしました。ある意味、バンドを持つ前からベイエリアでバンドリーダーをやっていたわけです!
私の演奏を見たことがあり、サボールのマネジメントをしていた方から、プロとしての助言をたくさんもらったことも伝えておきたいですね。アート・ジャクソン(Art Jackson)という方で、今はもう亡くなっています。私を信じて、最初の一歩を支えてくれました。
Salsa Vida今、若いミュージシャンがベイエリアでサルサ楽団を作ろうとしたら、あなたがキャンデラを結成した頃より簡単でしょうか、それとも難しいでしょうか?
エドガルド・カンボン:今のほうがずっと簡単です! ただ、予定の合うミュージシャンを探すことは別かもしれません。インターネットもパソコンもSNSもなかった頃は、カバー曲でさえ、手書きの編曲譜にお金を払う必要がありました。今なら、昔の名曲から最新のヒット曲まで、たいていの人気曲の譜面をネットで買えます。
もちろん、今だって「そんなに簡単」ではないことはわかっています。でも冗談で、今は「インスタント・サルサバンド。水を加え、電子レンジでリハーサル2回分温め、冷ましてからお召し上がりください」みたいなものだと言うことがあります。
「インスタント・サルサバンド。水を加え、電子レンジでリハーサル2回分温め、冷ましてからお召し上がりください。」
実を言うと、相手が若くて熱心な元教え子や、若者のアンサンブルなら、譜面を無料で提供することもあります。
以前は、次々に登場するサルサバンドに、うまい言葉が見つかりませんが、もっと「脅威」を感じていました。今は、これまで以上に自分のやるべきことに力を注いで、ほかの人がステージや仕事の進め方で何をしているか、気にする必要はないとわかっています。誰もが、自分自身の経験や失敗から学んでいくものです。
ときどき、新しいバンドからマネジメントを頼まれることがありますが、答えは「絶対に無理!」です。今でも手いっぱいですから! ただ、バンド全体の演奏を指導する仕事は引き受けています。リハーサルに立ち会って助言するんです。もっとも、誰もが私の助言を聞く心構えができているわけではありません。
一貫して続けること、そして辛抱強くあること。これがいちばんの助言です。バンドリーダーには? ヘルメットをかぶって、何でも個人攻撃だと受け取らないこと。トリオをまとめるだけでも大変なんです。サルサ楽団なら、どれほど大変か想像してみてください!
バッド・バニーとサルサの次の世代
Salsa Vidaバッド・バニーは「Baile Inolvidable」や最近のライブを通じて、何百万人もの若いリスナーにサルサを届けています。本格的なサルサ復興が起きているのでしょうか、それとも一時的に注目が集まっているだけでしょうか? 彼の音楽をどう思いますか?
エドガルド・カンボン:おっと! その質問は、話し始めたらきりがなくなりますよ。[笑]まず、「Baile Inolvidable」は好きです。いい曲ですね。それに、彼のスーパーボウルのハーフタイムショーには圧倒されました。すばらしかったし、ラテン文化とラティーノたちを一つにしてくれました。
プエルトリコで大観衆を前に共演していた映像も、いくつか見て気に入りました。その一つで共演していたのは、私の憧れであり、お手本でもあるルベン・ブラデス(Rubén Blades)その人です。バッド・バニーはよく歌っていましたし、コーラスの合間の即興歌唱であるプレゴンもよかった。堂々と渡り合っていたと思います。
彼は音楽面で、とても難しいことも成し遂げています。自分だけのサウンドを作り、たった二言、あるいは彼が発する一つの音だけで、若い世代が誰なのかわかる。アーティストとして、そういう立場にたどり着いたんです。どんなアーティストにとっても、それは宝物です。
とはいえ、普段の彼の歌い方が好きかと聞かれたら、いいえ。彼の音楽が好きか? 聴いていないんです! でも先ほども言ったとおり、「Baile Inolvidable」は好きです。この曲が「Llorarás」「La Rebelión」「El Cantante」、あるいはサルサ・ロマンティカのヒット曲のように、何年も先まで残るでしょうか? 私は疑問に思います。
40年たっても、まだ始まったばかり
Salsa Vidaイェルバ・ブエナ・ガーデンズでの40周年記念公演を終え、ステージを降りたとき、どんな瞬間や光景、感情がいちばん心に残りましたか? 20周年当時のあなたが今年の公演を見られたとしたら、何に驚き、キャンデラのどんなところはまったく変わっていないと感じるでしょうか?
エドガルド・カンボン:ちょっと待って、一度に三つも質問されていますよ! お答えすると、大きな達成感がありました!
20周年の頃は、同じメンバーで月に何晩も、たくさん演奏していました。ちょうど『Celebrando 20 Años』のCDを録音したところで、今より小さな編成でした。
今回の40周年公演は、現在の中心メンバーを軸に、一曲ごとに1人か2人のゲストを迎える形で企画しました。そのため、準備にも費用面でも、ずっと多くの労力が必要でした。カメラ3台での映像収録とライブ録音も行いました。今も、現在の制作会社であるラテンバウム・レコードのスタッフと、その作業を進めています。
あの公演でいちばん大切にしたのは、自分に「エドガルド、ただ楽しんで歌おう」と言い聞かせることでした。ある意味、自分の人生を祝っていたんです! バンドを率い、仕事と共演するミュージシャンを探しながら、同時にオリジナルの音楽も作ろうとする。そんな大変なことを、40年間も続けられるとは思っていませんでした。それでも、ときどき、まだ始まったばかりのような気がするんです!
「ときどき、まだ始まったばかりのような気がするんです!」
Salsa Vida11月のザ・フレイトでの公演は「Gracias Bay Area」という題名ですね。そこにはどんな思いが込められていますか? 観客はどんなステージを楽しめるのでしょうか?
エドガルド・カンボン:「Gracias Bay Area」という題名は、感謝祭の後の週末に開催することにも関係しています。私がサルサアーティストでいられるのは、大きな部分でベイエリアのおかげです。ファンや観客、初めて来てくれる人も、また足を運んでくれる人も。見て、聴いて、いつでも踊る準備のできている皆さんのおかげなんです。
どこで演奏するのも大好きですが、ベイエリアは私のホームです! 生まれた国のウルグアイに住んだのは14年間だけです。正直に言うと、ここはミュージシャンにとって暮らしやすい場所ではありません。物価はとても高いし、移動も駐車も、ますます大変になっています。
ミュージシャンは、公演の行き帰りに何時間も費やします。私はイーストベイに住んでいて、週に何度もベイブリッジを渡ります。でも、美しい橋を渡るたびに、これから向かう場所や湾、夜のサンフランシスコを眺めて、こんなに長くここにいられた自分は幸せだと感じるんです。しかも、ラテン音楽を演奏し、教えるという、大好きなことをしながらですから。
11月29日のザ・フレイトでの公演には、カール・ペラッツォ(Karl Perazzo、サンタナ、アバンセ)やヘスス・ディアス(Jesús Díaz、スティーヴィー・ワンダー、QBA)といった特別ゲストが出演します。ほかにもゲストを予定していて、現在調整中です。レギュラーメンバーも近く発表します。
ベイエリアで活動するダンスグループ兼講師陣のルエダ・コン・リトモ(Rueda Con Ritmo)が、私の曲に合わせて短いパフォーマンスを披露します。ウルグアイの伝統的なカンドンベの太鼓演奏もありますし、オリジナル曲と、趣向を凝らして編曲した名曲を、2時間にわたってお届けします。
Salsa Vida40周年を迎えるのは、一つの章を終える感覚ですか、それとも新しい章を始める感覚でしょうか? これから作りたい、録音したい、演奏したいものは何ですか?
エドガルド・カンボン:まだまだ「営業中」ですよ。健康に恵まれ、一緒に演奏する仲間がいて、聴いてくれるすばらしいお客さんがいる限り、私の音楽を迎えてくれる数々のステージを楽しみにしています。
国際的に高く評価されているプロデューサーのイスラエル・タネンバウム(Israel Tanenbaum)とラテンバウム・レコードとともに、これからもオリジナルの音楽をリリースしていきます。

エドガルド・カンボンに一問一答
サルサは踊りますか? 踊るなら、どのスタイルですか?
On1を踊ります。リズム感には自信がありますが、凝ったターンや振り付けはあまりしません。ダンスの上達は、やりたいことの一つです。最近はお客さんの前で歌だけを担当することも多く、コンガの後ろに「隠れる」ことができないので! [笑]
好きなサルサ歌手は?
ルベン・ブラデス、ヒルベルト・サンタ・ロサ、イサック・デルガド。
好きなパーカッション奏者は?
ジョバンニ・イダルゴです。でも、尊敬して演奏を追いかけているすばらしいコンガ奏者は、ほかにもたくさんいます。
存命かどうかにかかわらず、いつか同じステージに立ちたいミュージシャンは?
やはりルベン・ブラデスです。
サルサを踊る人なら、ぜひ聴いてほしいアルバムを一枚挙げると?
ウィリー・コロンとルベン・ブラデスの『Siembra』。私が最初の頃に手に入れたサルサのレコードの一枚です。
キャンデラを初めて聴く人に、最初に聴かせたい曲は?
本番前の習慣や、縁起を担いでいることは?
声のウォーミングアップをして、コンガを演奏するときは、手を保護するためにテーピングします。
すばらしいコンサートの後に食べたいものは?
まだ開いている店なら何でも! ベイエリアは、どこも閉まるのが早すぎます。普段は夜遅くに食べるのを控えています。
「40年たっても、サルサは今でも……」に続けるなら?
私の唯一の生業であり、演奏するのが大好きな音楽です!
バークレーでのライブ
ザ・フレイトでエドガルド・カンボンのライブを
「Gracias Bay Area」
40周年記念公演
2026年11月29日(日)
ザ・フレイト、2020 Addison Street、カリフォルニア州バークレー
開場:18時 開演:19時
ルエダ・コン・リトモによる無料ダンスレッスン:18時10分
会場の案内では、一般入場券は手数料込みで前売り39ドル、当日44ドルです。ダンスフロアと立ち見エリアが開放されます。入場券は座席を保証するものではありません。最新の空き状況や公演情報は、公式案内をご確認ください。
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